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一蓮托生
「医療法人 一蓮托生」僕が今日から働く病院の名前だ。
この病院を志望した当時から、
お持ちである基本的イデアがとても気になるところだ。
だけど、医大の時あまり成績が良い方ではなかった僕にとって、
不況にも関わらず採用人数の多いこの病院は、大変魅力的であり、
見つけて即履歴書にペンを走らせる十分な理由があった。
で、何とも幸運なことに入ることができたわけで、
今病院の透明な自動ドアの前で期待に胸を躍らせている真最中だ。
どこからか聞こえてきた「早く入れよ」というツッコミを聞いたわけではないが、
いざ出勤!
2、3歩前に進むと目の前の自動ドアが開いて中に入った。
すると、病院の独特なあの匂いが僕の鼻に入ってくる。
何度も研修に行っていた僕には嗅ぎ慣れた匂いでちょっと落ち着く。
間もなく右の廊下の方から白衣を着た風格のある男性が歩いてくる。
僕はその人が通り過ぎる時、元気よく挨拶した。
「おはようございます!」
すると男性は軽く会釈をしてくれ、そのまま僕の前を通り過ぎて行った。
向こうにとっては何気ない仕草かもれないが、僕は何となく嬉しかった。
でも浮かれてる場合じゃない。今から入院式が始まるのだ。
おそらく先程の男性も先生で、医者全員が集まる入院式の会場に向かったのだろう。
僕は急いで先程の男性の後に連いて行った。
左の廊下を真っ直ぐ行って、しばらくして右に曲がった所に会場はあった。
新人医入院式とデカデカと扉の横に掲げられている。
入院式といっても患者としてではなく、もちろん医者としてである。
響きが少し引っ掛かるところがまだ僕が新人である証拠だろうか。
中に入ると会場は思ったよりかは広く、椅子がいっぱい並んでいる。
壇上には綺麗な花も飾られている。
周りを見渡すと意外に結構若い人が多いようだ。
ちょっと緊張気味で自分の名前が書かれた椅子に座っていると、
突然後ろから肩を叩かれ、声を掛けられた。
「君、ちょっと手数なのだが、
今から患者が運ばれて来るんだ。
入院式はいいからそっちの方に応援に行ってくれないか?」
少し偉そうな風格漂う顔の人が唐突に頼んできた。
見覚えがある。ここの外科主任の人だ。
「いいかね?」
色々と思考中の僕に再び問い掛けてきた。
いきなりのことなので僕は内心ドキドキながらも、
「はい!」
と元気よく答えた。
そうして、全然気持ちの準備が着かないまま、
その人の後に連いて手術室に向かった。
搬入口のすぐ近くにある手術室の前に着くと、
外科主任は入院式での挨拶があるからと、
不安そうな面持ちの僕を置いて慌しく戻っていった。
そういえば、気になることがもう1つ、
僕は入院式のメインの1人なのでは…?
そんなことも気に掛けつつ、オペの準備を始めることにする。
倉皇するうちに重症患者が運ばれてきた。
僕はこのオペに補佐として呼ばれたようだ。
患者が運ばれて来てもまだいまいち受け入れられていない自分がいる。
けれど正式な医者となっての初オペである。
しっかりしなければ。補佐だけども。
よし、と気合いを入れて手術室に入ろうとした時、
先程会釈してくれた先生が声を掛けてくれた。
「新人君だね。よろしく。私が今回の執刀医だ。
しかし、初めてのオペが重症患者とはねぇ…。
ちゃんと補佐を頼むよ!」
その言葉に僕は力が湧いてきた。
内心ちょっと感激だった。めっちゃいい人。
なんか先生のファンになりそうです。
とまあ、かなりミーハー気味になってしまったのはさておき、
オペ開始!
「オペを始めます。患者の症状は…」
端的な説明の後、即座に先生の言葉が次々に飛ぶ。
「消毒。」
「メス。」
「汗。」
「ハサミ。」
「汗。」
この患者は大分酷い状況みたいだ。
新人の僕の目でもすぐわかる。
汗ばむ先生の顔や真剣な目からもかなりの緊張感が伝わってくる。
僕も必死に補佐に励む。
が、無情にも…。
心肺機能を正確に伝える機械から、
微塵も狂いのないフラットな音が発せられた。
その音は手術室の緊張感と沈黙をより烈にプロモーションしている。
先生の手からメスが滑り落ちた。
高い金属音がスタッカートを奏でる。
突然先生の隣で器具を渡していた人が奇声を上げ始めた。
顔が凍り何も言わぬ先生。
俯いたまま顔を上げることできなくなった人。
その光景は新人の僕の目に痛烈に焼き付いてくる。
耳からは狂想曲。いや、ただ狂った音たち。
少しして、先生の口から言葉が告げられた。
「…臨終だ。
助けられなかった。もう、太陽は…。」
(…先生。)
僕は声を無くした。ただただ悲壮感漂う先生の顔を見つめていた。
「もう太陽は拝めないな。
この人も。…そして、私たちも。」
その最後の言葉に先生を見つめる僕の目は見開いた。
そんな僕に気付いた先生は、
「新人君。君はまだここに来たばかりだったのにねぇ…。
そうか。この病院の理念を知っているかい?
君は今日の入院式を前にこのオペに呼ばれたから聞いてなかったよね。」
僕は淡々と語られる言葉を一つ一つ理解するのにとても時間がかかっていて
返事はできない。
「この病院の名前の通り、一蓮托生の理念に則って、
私たちは…、私たちは。」
先生の目から涙が木漏れ出してきた。
「…私たちはね、死ななければならないんだよ。」
自分たちの最期を勧告する先生の姿は悲しく痛ましいが、
非常に勇ましかった。
「ここは一蓮托生なんだ。」
その、僕がこの世で耳にする最期の言葉が両耳から入ってきた瞬間、
走馬灯と呼ぶべきか、色んなことが脳裏に甦った。
(採用人数の多いこの病院は、大変魅力的で。)
(意外に結構若い人が多いようだ。)
(初めてのオペが重症患者とはねぇ…。)
(汗ばむ先生の顔や真剣な目。)
(…臨終だ。もう、太陽は…。)
(「ここは一蓮托生なんだ。」)
最期の言葉が無限に輪廻している。
もう、僕の耳は、音を聞くことはできないのに―。
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